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酒井ゆきえがブラウン管に元気に登場した頃、私は小学校の高学年になろうとしていた。「おもちゃへ行こう!」にあこがれていた時代は遠い過去になりつつあったが、毎朝父が見ていたNHKのニュースを興味をもって見るにはまだまだ幼かった時代である。 『おかあさんといっしょ』(1959年〜現在 NHK)・『ロンパールーム』(1963〜1979年 日本テレビ)・『おはよう子供ショー』*1(1965〜1980年 日本テレビ)・『(みんなであそぼう〜)ママと遊ぼう!ピンポンパン』(1966〜1982年 フジテレビ)という子供向け番組は私が生まれた時にすでに放送が始まっていた。 私自身がこれらの放送のターゲットであった小学校低学年以前の時代で覚えていることといえば、『おかあさんといっしょ』で田中星児や小鳩くるみが歌を歌っていたこと。『ロンパールーム』のおやつに出てくる牛乳を見て牛乳が嫌いではなくなったことや、こまったちゃんをみんなでよってたかって責めるのはいけない事ではないかという疑問(未解決)。『ピンポンパン』ではかぁたんが緑色でカッコイイということや、しんぺいちゃんはおじさんだけどかわいいということ、またみんながかぶっているあの帽子が欲しかったことや、あとはおもちゃの木に入りたくて夢にまで見たことくらいである。『おはよう子供ショー』に関しては出演したことはあるが、内容は全く覚えていない。見ていなかったのかもしれない。『ひらけ!ポンキッキ』の放送も始まり、小学校に入る頃はフジテレビを見ていたのだろう。 私の心のおねえさんとしての原体験は本来『ロンパールーム』のうつみみどり*2になるのであろうが、私にインプットされている当時の彼女はすでにキンキン・ケロンパのケロンパで「変な髪形のおかしなねえちゃん」であった。では『おかあさんといっしょ』の小鳩くるみかというと、彼女は当時の印象では「こじんまりして幸薄そうなおばさん」という感じでおねえさんというカテゴリーにすら入らなかった。何か「子供のためになるいい歌」というものを押し付けられているような気になったものだ。(2001年11月現在に至るまで放送・雑誌・ネットなどでの追体験が無いため、この印象は変わっていない) 小学校高学年くらいになるとなんだかんだと深夜まで起きていることが多くなり、朝起きるのがつらかった。目覚めると当時幼稚園前後だった弟がテレビを見ていて、そこにはゆきえおねえさんがいた。「ゆきえおねえさんだ。もうこんな時間!」なんてことを朝の挨拶がわりにする日もあった。 私がピンポンパンを見ていた時代では初代:渡辺直子(フジテレビアナウンサー/1966年から担当)から2代目:石毛恭子(フジテレビアナウンサー/1971年から担当)くらいまでのはずなのに、このお二人のお名前はこの文を書くにあたって調べてみて初めて知ったくらいで、私の記憶には全く残っていなかった。ピンポンパンのおねえさんといえばずっとゆきえおねえさんなのである。 女性という性を意識し始めた当時の私にとって、両親の前で堂々と見ていられるのは教養を感じさせてくれる化粧っ気が薄い健康的な笑顔の女性だけとなっていた。『8時だよ!全員集合!』でドリフと一緒にコントをしているキャンディーズでさえ、ランちゃん・ミキちゃんに女を感じているのを親に感づかれないかと自意識過剰になって見ていたのだった。 そのため当時TVの前で安心して見ていられる理想の女性とは、ひとりは「レッドビッキーズの監督」*3であり、もうひとりがこの「ゆきえおねえさん」こと酒井ゆきえということになるのである。私が堂々と好きだと言える理想の女性像・アイドルの正統系譜というのはまさにこの2人から始まるのである。 話はそれるが当然(なのか?)この類型に当てはまらない、人に言うのが何故か恥ずかしいけれども好きな人もいるわけで、この当時でいうと計算されたコケティッシュさというのをこの頃も感じていたけれどもやっぱりアグネスチャンは好きだったし、「まつげのおねえさん」*4のキュートさにもいつもドキドキしたものだ。大人気アイドルなどはキャーキャー言われていて軽薄だというポーズを取っていたが、山口百恵も好きだった。彼女が好きって言えるようになったのは『プレイバックPart2』の頃、女性に“かっこいい”という形容詞が使えることに気付くまで数年待たなくてはならない。 この内面の混沌状態はピンクレディという国民的な現象が起き、親兄弟の前で大胆な露出の2人の踊りを見ていられるというありがたい状態が来るまで続いたが、「じゃ、どっちが好き?」と聞かれてMEと答えていたあたり、まだまだ後遺症はあったようだ。KEIの淫靡な魅力はすでに充分理解できる年代だったのだが、まだまだそれを口に出すことはできなかったのだ。「芸能人では誰が好き?」と聞かれて野口五郎とかクールファイブの前川清とか地味目の線の男性の名前で答えていたのはピンクレディ以前。ちょうどこの頃だ。ちなみにその前は五木ひろしなどと答えて親をあきれさせたが、その時は無難な線の男性芸能人の名前が彼しか思いつかなかったのだ。「女性は?」と聞かれたとしたら、きっと和田アキ子と答えていただろう。 だいぶ余談が長くなったが、小学校高学年当時の私の本音と建前というものが充分おわかりいただけたかと思う。 朝起きて「ゆきえおねえさん」などと家族の前で言えたのは、酒井ゆきえが「ゆきえおねえさん」を見事に演じきってくれていたおかげである。思春期の葛藤を上手にかばってくれる私にとって大切な存在だった。 そして数年後、高校生になって『気分はもう戦争』をきっかけに大友克弘のマンガを読み漁ることになる。その時私は強烈な追体験をすることになる。 彼の作品郡の中で何度か「ゆきえおねえさん」が登場するのだが、その登場人物が見つめる「ゆきえおねえさん」は必ずゴミためみたいなこの世の中で、ただ一輪咲く美しい花として描かれているのだ。そして「現実」と「理想」のギャップに登場人物の中で狂気が生み出され増幅していく。現実社会の中の自分という事を考えはじめていた私には強烈だった。私が「ゆきえおねえさん」に守ってもらっていた頃、なかなか社会に認められない自分のアイドルとして「ゆきえおねえさん」を見つめている人がいたのだ。そして「ゆきえおねえさん」が自分を守ってくれる(くれた)おねえさんというだけではなく、理想として守っていかなくてはいけないおねえさんとして意識しはじめたのだ。 私のそんな決意とは関係無く、「ゆきえおねえさん」を演じきった酒井ゆきえは、フジテレビを退社して自分自身の道を歩きはじめていた。 主に関西方面で活躍していたようで、後に女子アナブームとなり特番にゲストとして出るまで見かけることも無かった。 私自身、日々の仕事に埋没して、ほとんどテレビすら見ない(見るヒマもない)という生活を送っていたからかもしれない。また、たまに見る番組が特定のジャンルに偏りすぎていたからかもしれない。 15年以上経って出会った酒井ゆきえは笑顔が素敵な愛らしい「ゆきえおねえさん」そのままであった。 一緒にテレビを見ていた母も「ゆきえおねえさん変わらないね、今いくつくらいなの?」と聞いてきたがざっと計算して「40は過ぎているはずだよ。他の女子アナがケバいのもあるけど若いよね」と素直に印象を言えた。 もちろん年とともに小皺なども出てきていたが、苦労や疲労を感じさせるようなものではなく、明るく楽しく正しく生きてきた事が感じとれた。 その番組での酒井ゆきえは私が性を意識しだした頃も、社会を意識しだした頃も、社会に埋没してしまっている今現在も、変わらない「ゆきえおねえさん」であった。 酒井ゆきえは明るく元気なやさしい「ゆきえおねえさん」を演じていたのではなく、「ゆきえおねえさん」そのものなのだなぁ。と、日々の生活の中でゴミにまみれていた体を洗い流してもらえたような気がした。 私がどう思おうと、何を考えようと、「ゆきえおねえさん」は私よりずいぶん先を明るく楽しく真っ直ぐに歩いて行くのだろう。そしてたまに振り返って満身の笑みを見せてくれるに違いない。 「ゆきえおねえさん」これからも活躍をお祈りします。 そしてたまにその活躍ぶりを私にも見せてください。 「ゆきえおねえさん」は私の永遠のおねえさんです。 |
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最終更新日:2001年11月11日
初校掲載:2001年11月10日